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川崎フロンターレの苦難と栄光の歴史 合言葉は「チームづくりと街づくり」

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川崎市中原区に拠点を置くスポーツチームと言えば、バスケやバレーなどいくつかありますが、とりわけ人気が高いチームと言えば、何と言ってもサッカーJ1に所属する川崎フロンターレ

今回は地元川崎に根を張って地域貢献に努め、地元の市民に愛されるサッカーチーム、川崎フロンターレについて解説していきます。

実は川崎市には、フロンターレよりも前にヴェルディ川崎(現:東京ヴェルディ1969)というサッカーチームがもともと拠点を置いていた事をご存知でしょうか?

ご存知無い方がいるのも仕方ありません。彼らは元来東京志向が強かった為、川崎に馴染む事は無く、そそくさと東京へと本拠地を移していってしまいます。

しかし、川崎フロンターレは違いました。かつては、「プロスポーツ不毛の地」とも言われた川崎市に根付いて、「チームづくりとまちづくり」というスローガンを掲げて地域に根ざした活動を続けて行ったのです。

そして、「スポーツでこの国を変える」「川崎市及び川崎市民の生活を未来永劫、豊かにしていく」という志の下、数々の苦難を乗り越えていきます。

目次

川崎フロンターレの始まり

川崎フロンターレは、1955年富士通サッカー部として創部しました。そして1972年には日本サッカーリーグへ昇格し、1992年からジャパンフットボールリーグ(旧JFL)へ参加します。

その後、1996年に「富士通川崎フットボールクラブ」へ改称し、11月21日に運営会社となる「富士通川崎スポーツマネジメント株式会社」が設立されたのち、1997年にはJリーグ準会員となり、名称が公募によって川崎フロンターレと決定されました。

そして、1999年Jリーグへ加盟して日本サッカーに旋風を巻き起こしていくのです。

ホームスタジアム中原区等々力陸上競技場、練習場は麻生区川崎フロンターレ麻生グラウンドであり、川崎の地で街や市民と共に成長を続けています。

苦難と栄光の川崎フロンターレ

1997年から本格的に始まり、現在まで続く川崎フロンターレの歴史を振り返ると、苦難の歴史でした。

今ではJリーグでも最強クラスの黄金時代を築く川崎フロンターレですが、あだ名はシルバーコレクター

「タイトルに届きそうで届かない」

そんな姿を見て周囲はそう呼んだのです。

例えば、2000年リーグ決勝鹿島アントラーズに敗れ、2007年リーグカップのファイナルガンバ大阪に敗北。2009年は32節・大分戦での敗戦の影響でリーグ優勝を果たせず、リーグカップでは決勝でFC東京の前に敗れました。

他にも、地元川崎のサポーターにとって苦い思い出は数々あると思います。

川崎フロンターレがようやくリーグ制覇を果たすのは2017年

それまで川崎フロンターレは苦難の道を歩んできました。サポーターや選手、スタッフが流した涙の数は数えきれません。

そして、フロンターレを語るうえで欠かせないのは中村憲剛です。

2003年にプロデビューして以来、何度も、何度も、悔しい想いをしながら、それでも移籍する事無く、川崎の地で泥臭く必死にプレーしてきました

中村が川崎フロンターレで初めてリーグ優勝を経験する2017年は、彼にとってプロ15年目です。

中村憲剛の歴史は川崎フロンターレの歴史と言っても過言ではありません。

チーム名の「フロンターレ (Frontale) 」はイタリア語で「正面の、前飾り」を意味し、常に最前線で挑戦し続けるフロンティアスピリッツ、正面から正々堂々と戦う姿勢を表していると言います。

まさに名が体を表しているようなチームや選手なのです。

合言葉は「チームづくりと街づくり」チームと市民、二人三脚で歩んだ道

1997年のクラブ正式発足以降、川崎フロンターレは、まだJ1とJ2の間を行ったり来たりしていた時代から、地元との繋がりを大切にし、着実にファンの心を掴んでいきました。

「ホームタウンを好きになってもらう為に何が出来るか」

川崎フロンターレの、サッカーだけではないもう一つのテーマが「まちづくり」なのです。

今や武蔵小杉駅や、新丸子駅武蔵中原駅周辺では、商店街など、地元を挙げてフロンターレの応援をしているのが目立ちますが、市民と二人三脚でどのような取り組みを行っているのでしょうか。

武蔵中原駅とのコラボ

川崎フロンターレのホーム・等々力競技場の最寄り駅でもある武蔵中原駅や、駅に隣接したBeans武蔵中原には、川崎フロンターレに関する掲示が多く作られています。

Beans武蔵中原
Beans武蔵中原内(川崎フロンターレHPより引用)

また、武蔵中原駅の発車メロディー川崎フロンターレの応援歌が流れています。

・上り線:「FRONTALE2000」

・下り線「FRONTALE20000」

市民なら誰でも知っている「あの歌」を大合唱

そして、ホームゲームでは川崎市民なら誰もが知っているあの歌を大合唱する事で、サポーターが一つにまとまるのが試合観戦の醍醐味です。

それこそが、川崎市民の歌『好きです かわさき 愛の街です。

市制60周年を記念して作られたこの歌は、ゴミ収集車から流れてくる曲でもあり、耳に残りやすいメロディーという事もあって川崎市民には大変馴染み深く、歌詞さえわかれば市民は誰でも口ずさむ事が出来ます。

あわせて読みたい:中原区民も知らない地元の歌 あなたは「なかはらの歌」を歌えますか? | なかはらPR

市内の小学生は誰もが使う算数ドリル

川崎市内の小学生に通った人なら、誰しも使った事があるであろう「川崎フロンターレ算数ドリル」

地元の子ども達に寄り添った活動をしているもの川崎フロンターレの特徴です。

算数ドリル
川崎フロンターレ連携・魅力づくり事業実行委員会より引用)

これを使ってテンションが上がっていた人も多いのではないでしょうか?

川崎フロンターレは、小学生が勉強に少しでも興味を持って取り組めるような工夫も惜しみません。

障害のある子どもたちの為の取り組み

川崎フロンターレは、障害を抱えてサッカー観戦が難しい子どもたちへ向けた取り組みも行っています。

それが、2019年7月27日の大分トリニータ戦における発達障害のある子ども達を対象とした「サッカー&ユニバーサルツーリズム」の実施です。

発達障害のある子ども達の中には、その特性から感覚過敏の方も多く、人混みや喧噪などが外出等における障壁となっていて、外出を躊躇ってしまう事も多いと言います。

スポーツ観戦に関しても、スタジアムは歓声や音響が大きく、照明の光も強いので、サッカーが好きだとしても、そもそも観戦を諦めてしまう親子も多いのが現状です。

そうした課題に対して、会場となった等々力陸上競技場にはセンサリールームを特設して、音も光も抑制された部屋で観戦できるようにしました。

同時にカームダウンスペースとスヌーズレンも用意して、疲れた時に休憩できるようにしたと言います。

また、試合開始前には川崎市長からこの取り組みについての説明をしたり、川崎フロンターレの計らいオーロラビジョンの選手名をひらがなで表記しました。

そして、サポーター歓迎の横断幕を用意するなど、チームだけでなくサポーターも一体となってこうした取り組みを成功させたのです。

その他にも・・・

これ以外にも、川崎フロンターレは、「川崎市」という街をよりよくしていく為に、日々市民と共に様々な取り組みを行っています。

詳しくは、こちらからご覧いただければ幸いです。

参考:j.LEAGUE NEWS PLUS ホームタウンを好きになってもらうために

あわせて読みたい:等々力陸上競技場に新名所?!レジェンド中村憲剛のモニュメント設置計画が始動! | なかはらPR

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