「新城マガジン」では、武蔵新城を多くの人に味わってもらいたいと、新城の人やお店を発信しています。多摩川を渡った川崎市、唯一通っている路線は南武線。なんだか懐かしくて肩の力が抜ける町です。運営:新城WORK
南口から歩くこと3分、モルタル塗りで貫禄のある要塞のような建物が見えてきました。“食とアートと音と映像と” のペインティングに、大きく描かれた “WELCOME” の文字。外から中が見えず、一体何屋さんなんだろう?とつい近づきたくなります。
こちらが、今回お伺いする “文化醸造複合施設”「CHILL」。さまざまな人が訪れていた銭湯をリノベーションして、2020年8月にオープンしました。“食とアートと音と映像と” というコンセプトのもと、アーティストやクリエイターがアトリエを構えるフロアと、4つのキッチンが提供する食事を音と映像と共に楽しめるフードラウンジのフロアで構成されています。
今回はプロデューサーの和泉さんに、武蔵新城にこのような場所をつくった理由や、CHILLで大切にしていること、その背景にある和泉さんの今までの話をお伺いしました。
“カオスさ” を昇華するためのアート
地元の人に愛されていた「サウナつかさ銭湯」は、2017年に閉店。当時、建物再生などを手掛けていた和泉さんは、この建物のオーナーから依頼を受けました。当初はコンビニに建て替えるプランがあったものの、銭湯やサウナの建物は強固で壊すためにお金がかかること、壊すとCO2をかなり排出することから、建物を壊さずに再利用する方向で考え始めました。
「当時武蔵新城について全然知らなかったので、まずこのまちについて知ろうと、この建物と同じオーナーさんが持っているガソリンスタンドを貸しきって、プールを並べてスタンドビーチを開催しました。3、400人くらいの人たちにヒアリングをして特にわかったのは、子育て世帯がかなり多い、でも遊ぶ場所が公園しかないから、遊べる場所がほしいということ。
あとは、もともと世田谷や目黒に住んでたけど、家族が増えて、川崎に引っ越してきた方が多いことがわかりました。そういう方って、東京のカルチャーとかアートとかに触れていた方が多いと思っているんですが、新城ではその要素が満たされてない印象も受けましたね。
そういったまちの人たちが求めているものと、オーナーや建物の状況を掛け合わせて、ここのイメージが固まっていきました。ここに来る人たちに『新城っぽくないね』って言われることもあるんですけど、そういう潜在的なニーズを反映したいと思ってつくったので、それでよかったなと。」
そして、CHILLと和泉さんのひとつの軸となっているのが『アート』。和泉さんがアートを意識するようになったのは、以前プロデュースした川崎にあるゲストハウス『日進月歩』をつくったときでした。
「川崎って、ちょっと治安が悪いイメージがあったり、色々な人が住んでたりして、カオスなところがある。どのようにそういう川崎にリスペクトしながら、ここのカオスさを構成するコンテンツを内包していくかを考えた結果、全部アートとして昇華させて、建物の中で封じ込めることにしました。なので、日進月歩は部屋に描かれている絵は、川崎のカオスさを表現するというルールで、一枚ずつ別々のアーティストが描いたものなんです。」
「アートを建物に取り込むことで、ここに来る人たちがアートを持って帰って、まちに垂れ流して、まちがアートで埋まっていったらいいなと思っていました。そしたら、川崎市がアートプロジェクトを始めたんです。本当にアートが町を変えていった様子を見ていて、シンプルになんか楽しいなって。その後プロデュースした高津にあるおふろ荘も、近くに岡本太郎の実家があったこともあり、一部をアトリエにするなどして、アートをコンセプトのひとつにしていました。」
この場が持っている個性を内装やインテリアで表現
CHILLは『上品なカオス』をコンセプトとして、リノベーションされており、内装や家具で表現されています。
「もともと銭湯だったという歴史から、お風呂の湯気を連想させる歪み方でロゴを壁画に表現したり、銭湯の壁画に描かれている富士山をキッズスペースのモチーフにしたり。壁からはみ出してエアコンにも虎の絵を描いているのは、サウナだった当時に訪れていたお客様の中には刺青を入れている方もいたようで、そういった背景をアートにしています。あとは、川崎というまちが持つカオス感を表現するために、家具も綺麗に揃えるのではなく、全部異なるものにしようと、アンティークとか家具屋さんの倉庫から送ってもらった写真の中から、ひとつひとつピックアップしました。ただ単におしゃれなものを並べるだけじゃなくて、ここが持っている歴史や個性を活かすこと、ひとつひとつは違うんだけど全体を俯瞰して見ると上品になることを大切にしていますね。」
家具や内装はコンセプトに加え、お客さんの過ごし方も想定されています。親子でいやすいように、家具は比較的低めなものが多く、一角にはキッズスペースも。また、お昼からお酒を飲んだり、ちょっとだらっとしたりしてもいい感じになるようにしたと和泉さんは話します。
「CHILLは、ここでチルアウトできる時間を過ごせて、自分のもうひとつの居場所となってくれるといいな、と思って名前をつけました。実際に、本を読んだり、子どもと一緒に過ごしたり、友だちと喋ってたり、ぼーっとしたり、本当に色々な過ごし方をしていただいています。お昼は子ども連れのお母さんが多く、夜はコーヒー1杯飲んでちょっと仕事するサラリーマンの方が多いですね。最近では、夜お酒とちょっとおつまみを食べられる『CHILL バル』も始めました。」
3階に位置するフードコートは、和泉さんがコーヒーを淹れている「Vonvoyage ラウンジ」と、武蔵新城にある「Cafe hatt」の2号店、焼き菓子を中心とした美味しいお菓子が堪能できる「BAKE SHOP FUU」、そして二子新地のイタリア「”nico luce」からカレーブランドだけをピックアップした「3 CURRY」 という4つのキッチンが入っています。
2階にはブース貸しのシェアアトリエもあり、複数人のアーティストやクリエイターが利用しています。アトリエの壁はガラス張りになっており、外から作業する様子を眺められるようになっています。
“文化醸造施設” としている理由
カオスさは内装だけでなく、中に持ち込まれているコンテンツにも。もともとCHILLのお客さんだったヨガ講師の方がヨガイベントをやったり、和泉さんのお知り合いがピザ屋さんを出したり、個展や美術展を開催したりなど、さまざまな人たちのコンテンツが繰り広げられています。
「文化醸造施設としているのは、とにかく発酵し続けたいという想いを込めていて、ここで心が動く何かに出会ってほしいなと。なので、文化的であること、暮らしが豊かにすることを大切にしながら、色々な方とコラボしています。」
構成する大切な要素、ニューヨークでの経験
和泉さんの軸のひとつとなっている、アートやプロデューサーに辿り着くまでの経緯についてお伺いすると、日本語学校の先生になるためにニューヨークに渡ったエピソードからお話しいただきました。
「高校を卒業するときに、先生に見せてもらったピュアなスリランカの子どもの笑顔の写真に感激して、日本語学校の先生になりたいと思ったんです。英語を学ぶためにニューヨークに渡ったんですが、もともと働く予定だった日本語学校がなくなってしまった、その上ちょうどそのときニューヨークで事件に巻き込まれて、それも持ち金ごっそり盗られてしまって。」
「そのあと、大学に入ってインテリア・デザイン学科で学ぶことにしました。ニューヨークってまち自体がアートで、友だちもアーティストになる人が多かったんですよね。その当時バイトもしてたから、大学行って朝3時くらいまでバイトして5時くらいまで宿題やって8時に起きて大学行くみたいな、超絶苦学生でした(笑)」
2年間大学に通った後日本の染め物の勉強をするため、仙台の先生に弟子入りしたものの、重い病気で長期間入院。無事退院した後、日本の企業で英語関係の仕事に就きました。
「アメリカ帰りだったから日本の企業の窮屈に感じて、やめようとしたのが24歳のときだったんだけど、そのときに子どもができて。給与が高いという理由で不動産会社に就職しました(笑)入社3日目には新店舗の立ち上げをやって、6年間の在職期間中に3店舗くらい立ち上げたのかな。最後は立ち上げた全ての店舗を見るようになって、ある程度不動産の取引をできるようになりました。」
“まちをよりよくしたい” 届けたい価値と向き合っている人たちとの出会い
30歳のときには、大学で学んでいたインテリアに関わりたいと、設計士の知り合いのつながりで建築設計事務所に入ります。
「家を設計することについて何もわからない、キャド※も使えないから、設計図をフリーハンドで書いてました。そしたら、偶然LIVESっていう建築雑誌の副編集長と出会って、処女作を雑誌で取り上げてくれた。そのあとも自分で設計した建築を雑誌で取り上げてもらうことが増えて、家づくりをすることが自分の生業になっていきました。そこから数年間設計事務所で働き、そのうちに自分の歴史を振りかえると、デザイン・不動産・設計という3つのコンテンツが存在していることに気付き、それらを総合した仕事ができないかと、前職の会社に転職しました。」
※コンピュータを用いて設計をすること、あるいはコンピュータによる設計支援ツールのこと
「前職で仕事をしている中で、6年前くらいから自分たちの利益だけではなくて、まちのために何をしたいかを語り合える知り合いが一気に増えて、仕事の価値観が変わり始めました。
設計事務所で働いているときから、お金や利益よりも、誰にどういう価値を届けるかを先に置いて仕事をしたいと思っていたんですが、仕事をしているとどうしても利益が先行してしまっていました。だけど、彼らと話す中で、先に価値をつくって、それをどうやって利益にするかを考えるという順番でもいいんだと思えるようになりました。その結果、やること、課題、考えるべきことが多くなっていって、インプットとアウトプットを同時多発的にやっていたら寝る時間がどんどんなくなっていって(笑)みんなも自分と同じように没頭する性格だったので、夜な夜な語り合ったりして、苦しい時期を一緒に過ごしましたね。
先に価値をつくってからそれがスタンダードになり結果マネタイズできるということが、徐々にわかるようになってきて、自分の今後の生き方や働き方を、もっと自由にもっと直接的な価値を生み出すために時間を使いたいと考え、2020年に独立して、ここをつくりました。」
和泉さんは前職まで建物再生や建築関連のプロデュースをメインでやられていましたが、CHILLでプロデュースに加えて初めて運営を受託することで、変化があったと話します。
「もちろん苦しみもあるし、でもその分うれしさもありますね。8月にオープンした当時は売上が立たない、コストだけかかっている状況で、誰も来ないところでコーヒーを淹れ続けて。今はお客さんがここで楽しくご飯を食べてお酒を飲んでて『美味しいね』『雰囲気いいね』って言ってくださったり、最近だと開店前から店の前で待っててくれるお客さんもいて、本当に押し寄せてくるくらい、開店と同時に満席になる景色を見たりすると、もう格別ですね。そういった経験を通して、プロデュースだけををしていたときとは違う感覚が身についていると思います。」
ここに来る人たちがハッピーになるという絵を描き続ける
ニューヨーク、不動産会社や設計事務所での経験は、今の和泉さんやCHILLにどのように影響をしているのでしょうか。
「特に、ニューヨークで得た経験が大きいですね。19歳という年齢になって、言葉も通じないし人と意思疎通さえできない。赤ちゃんのような状態から暮らし始めて、インテリアやファッションを学ぶまでの過程は、とんでもなく財産になりましたね。日本にいたら食って寝てはできるし、言語は不自由なく通じるし、それが向こうではできない。それは、今の0からつくりあげていくというプロデューサーの仕事の原点になってるのかも。あとは、カオスさ、古いものと新しいもの、個性がバラバラなものを共存させるというのは、ニューヨークの経験から来ているのかなと思ったりしますね。」
最後に、これからのCHILLについてお伺いしました。
「とにかく “食とアートと音と映像” を軸にした、まちの人たちの遊び場にしていきたい。例えば、他には屋上にウッドデッキと芝生を敷いていて、地域の人たちのマイクロツーリズム的な感覚で、キャンプ場として気軽に使ってもらいたいと思っています。
当初CHILLを構想しているときに描いていた景色に、近いものができていると思います。このまちに住む人や働く人、遊びに来る人たちが、ここを通してハッピーになるという絵は絶対に描き続けたいですね。」
編集後記
実は取材の途中で石井さん(武蔵新城の大家さん)がいらっしゃり、ふたりで話が大盛りあがり。加えて、ニューヨークや病気の話は予想外でつい深ぼってしまった結果、通常の2倍の時間をかけてお話をお伺いしましたw
8月にオープンしてから、あっという間に私のfacebookやinstagramのタイムラインでCHILLを毎日見かけるようになりました。私は「身近でアートを楽しむ」というコンセプトにとても共感して、通路美術館にもお伺いしたり友人とCHILLバルでビールを飲みに行ったり。お話をお伺いする中で、私も含め、これからたくさんのまちの人たちの日々を彩る場になっていくんだろうなとワクワクしました。
【住所】神奈川県川崎市中原区新城5-7-12
【アクセス】武蔵新城駅から徒歩3分
【HP】https://chilljyo.jp/about/
【Facebook】https://www.facebook.com/CHILL-115828100215659/
【Instagram】https://www.instagram.com/chill______chill/?hl=ja
文・とやまゆか/写真・木戸真理子